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言わザル [湯・動生活]

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風呂に入るのは人間サマだけかと思っていたら、ここではお猿サマも入っていた。
スキーで有名な志賀高原の地獄谷野猿公園である。

「なんで風呂なんかに入るの」と問いかけたら、二匹の大人のサルは
「言わざる」とばかりに口に手を当てた。

でもほんとうは、寒い冬に、湯に浸かる。北のサルの寒冷気候への適応なんである。
赤ちゃんザルは、言わザルにしがみついて、産湯につかるように気持ちよさそうだった。

ここはサルにとって決して”地獄谷”ではなく、”極楽谷”なのだろう。

※ この取材は、今度の6/24の朝日新聞”よくばり湯の旅”に掲載予定です。
  この文章とは内容がまったく異なります。

峠を照らす歴史の灯火 法師温泉 [湯・動生活]

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 白く立ち上る湯気が、100年を超す梁(はり)の間へと吸い込まれていく。アーチ型の窓から洩(も)れる日の光は穏やかだ。湯底に敷きつめられた玉石が足裏に心地よく、湯枕に頭を寄せ眼を閉じると、煩雑な日常が音もなく消えていった。
 三国峠山中の秘湯、法師温泉の名は、目深に笠を被ったがごとき湯屋の佇(たたず)まいとも絶妙に合い、弘法大師開湯とも伝えられる。本館は1875(明治8)年、湯殿の法師乃(の)湯はその20年後に建てられ、多くの文人墨客が湯で心身を癒やした。

 与謝野晶子もこの宿を愛した一人だった。素朴な山宿のランプの明かりと湯が心を和ませ、歌が自然に紡ぎ出たという。
 「草まくら手(た)枕に似じ借らざらん山のいでゆの丸太のまくら」
 1922(大正11)年、若山牧水は利根川をさかのぼる「みなかみ紀行」でこの宿を訪れ、ひたすら湯に浸り、友と酒を酌み交わし、「牧酔」となった。
 「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」
 彼の歌は旅そのものだった。

 杉皮葺(ぶ)きの屋根が覆う重厚な建物は、山中にあってイノシシが伏せた姿にも例えられたが、杉皮は雪深い峠では10年ほどで張り替えねばならない。今日では材料の調達に苦慮するのだと、宿で生まれ育った岡村国男さん(60)はいう。歴史の灯火(ともしび)を消さない静かな志がにじむ。
 この山宿を慈しむ湯守人がいるかぎり100年後も変わらぬ姿で、法師温泉は旅人の心を癒やし続けてくれるに違いない。

朝日新聞4/3掲載 八ケ岳執筆 湯の旅 ”群馬県法師温泉”
詳細はコチラ http://www.asahi.com/travel/yunotabi/TKY200904020191.html


豊饒の海を見つめて ― 縄文真脇温泉 [湯・動生活]

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 地下3メートル、移植ごての先には、足の踏み場もないほど大量のイルカの骨が現れた。
 
日本海に突き出た能登半島内浦の能登町真脇。5千年前に暮らした縄文人たちは、目の前の真脇湾にカマイルカやマイルカを追い込んだ。息の根を止めた石ヤリも発見された。

 カマイルカは藤の花の咲く頃、マイルカは8~9月ごろ真脇湾に回遊してくるという。その海底地形は、イルカが接岸しやすい好条件を備えていた。縄文人たちは、その季節を暦に刻み、イルカの生態を熟知したうえで捕獲する海のスペシャリストであった。
 累々と横たわるイルカの骨の下から、三日月型などの文様を刻んだ長さ2.5メートルの木柱が発見された。イルカ漁にまつわるシンボリックな記念物に違いないが、これにどんな祈りを捧げたかはミステリーのままだ。

 縄文真脇温泉は、遺跡を眼下に、縄文人たちが漁に出た真脇湾に臨む、絶景の場所にある。頑丈な体格の男性が湯船に浸かっていた。地元の漁師だという。寒ブリ漁のことから話がおよび「村では戦前までイルカを獲っていた」と教えてくれた。
 真脇では江戸時代にも「イルカ回し」という追い込み漁が盛んで、その名は加賀藩内にも響きわたり、一時に1000頭も獲れたことがあるという。

 一条の白い波を残しながら、漁船が真脇湾に戻ってきた。豊饒の海は、5千年たった今も、恵みを与え続けているのだ。

※ 写真は真脇温泉からみた真脇湾

朝日新聞 東京本社配信 八ケ岳執筆 2009年3月6日 ”湯の旅”
http://www.asahi.com/travel/yunotabi/TKY200903060101.html


何もない天空の静寂 八ケ岳本沢温泉 [湯・動生活]

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 切り立った八ケ岳は、青みがかった表情を見せたかと思うと、ふいに深い森の中に姿を消す。太古の面影さえ残るコメツガやシラビソの原生林を、歩き続けた。いったいこの森は私を解き放してくれるのだろうか。遠く近く、カッコウの声がこだまする。5月末の山の空気はいまだ冷たい。
 ふと見ると携帯は圏外を示している。この小さな機械に日常を縛られる自分がこっけいに思え、電源をオフにした。

 静寂な時間が過ぎる。登ること2時間、硫黄岳の山懐にある本沢温泉がようやく見えた。
内湯のある宿から5分ほど登った「雲上の湯」は、硫黄岳を刻む渓谷にあり標高2150メートル、日本有数の天空に近い温泉だ。底から沸く青灰色(せいかいしょく)の湯が、露天の湯船を満たす。見ると男性がぽつんと一人、湯につかっているだけ。私も無心になって体を沈めた。
白く細い渓流が脇を流れ、やがて千曲川へと注ぎ込む。振り向くと硫黄岳の岩壁、青空が高い。湯から上がり、木陰の残雪を顔に当てると、ほてりがすっと引いた。

 厳冬期以外、本沢温泉に住み込んで宿を手伝っているという20代の女性がいた。ファッションやブランドに一番関心がありそうな年頃なのに、この場所にいることが不思議に思え、その魅力を尋ねた。すると一言。
 「何もないところ」
 飾らないその答えが、むしろ心に響いた。モノにあふれかえり、求めてやまない今の暮らしを、ふと省みた。

 車の横付けは当然、豪華さを競う温泉施設が多いなか、山行でしかたどり着けない本沢温泉は、まさに秘湯の名にふさわしい。
 街の喧騒から離れたくなったら八ケ岳の山旅に出かけよう。「何もない」というぜいたくな時間が、ここに流れているから。

朝日新聞2008年6月10日掲載 「湯の旅」コラム
http://www.asahi-mullion.com/column/yunotabi/80610index.html

※ 2ヶ月に1回程度、朝日新聞(東京本社管内)に書いている温泉コラムです。
 東日本にお住まいの方は、ご覧いただいているかもしれません。


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